アメリカの双子の赤字とはどのようなものですか?
1981年、レーガン大統領は国内経済立て直しのために「強いアメリカ、強いドル」を目指す、いわゆるレーガノミックスと呼ばれる政策を掲げ、大幅な減税を打ち出しました。
これにより、当初、景気は回復の兆しをみせたものの、税収が伸び悩み、財政赤字は解消しませんでした。
また、強いドルは、電気製品や自動車などの輸出競争力を失わせ、農産物の輸入を促進させました。
その結果、アメリカの貿易収支は大幅な赤字となり、財政収支と貿易収支の赤字は双子の赤字と呼ばれ、アメリカ経済にとって大きな問題となっていったのです。
プラザ合意でどうなったのですか?
上記のことから、強いドル政策は転換を余儀なくされ、1985年9月22日には、ニューヨークのプラザホテルで5か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)が極秘裏に開催されました。
ちなみに、この5か国とは、アメリカ、イギリス、西ドイツ(現ドイツ)、フランス、日本です。
そして、ここで合意された先進国の政策協調はプラザ合意と呼ばれ、世界経済に新たな流れを作ったのです。 |